インバウンドツーリズムの持続可能性 -2つのエピソードから-

Trend Watch No.99

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ABSTRACT

本稿の目的は、2つのエピソードから、インバウンドツーリズムの持続可能性を議論することにある。ここで取り上げる2つのエピソードとは、最近再び注目を浴びている(1)訪日外客6,000万人政府目標実現の可能性についてと、訪日外客は着実に増加している一方で主要観光地において国内観光客(特に宿泊者)が減少し始めているという最近の現象、すなわち(2)不均衡な観光需要についてである。

第1のエピソードを材料に、人口減少下の日本でこの政府目標が実現可能となる条件とは何かについて光を当てている。ここではこれまで看過されがちな観光業の供給側面に注目し、需給のバランスを考えている。第2のエピソードからは、内外観光需要の不均衡という最近の現象を取り上げて、その背景に何があるかを議論している。すなわち、宿泊料金と賃金の跛行性に注目している。

これら2つのエピソードから得られる課題解決の処方箋は、(1)生産性の向上と(2)実質賃金の持続的な上昇であり、インバウンドツーリズムの持続可能性実現に向けて必須の条件となる。

DETAIL

はじめに

本稿の目的は、2つのエピソードから、インバウンドツーリズムの持続可能性を議論することにある。ここで取り上げる2つのエピソードとは、最近再び注目を浴びている(1)訪日外客6,000万人政府目標実現の可能性についてと、訪日外客は着実に増加している一方で主要観光地において国内観光客(特に宿泊者)が減少し始めているという最近の現象、すなわち(2)不均衡な観光需要についてである。

 

第 1 のエピソードを材料に、人口減少下の日本でこの政府目標が実現可能となる条件とは何かについて光を当てている。ここではこれまで看過されがちな観光業の供給側面に注目し、需給のバランスを考えている。第 2 のエピソードからは、内外観光需要の不均衡という最近の現象を取り上げて、その背景に何があるかを議論している。すなわち、宿泊料金と賃金の跛行性に注目している。

 

これら 2 つのエピソードから得られる課題解決の処方箋は、(1)生産性の向上と(2)実質賃金の持続的な上昇であり、インバウンドツーリズムの持続可能性実現に向けて必須の条件となる。

 

1. エピソード1:訪日外客6,000万人政府目標実現の可能性について

1-1. インバウンドツーリズムの実績

最近インバウンドツーリズムの回復は顕著である。訪日外客数を確認しよう(図表1-1)。2024年の訪日外客数(推計値)は 3,687 万人と(19 年比+15.6%)、3,600 万人を突破し過去最高を記録した。また、これまで過去最高値であったコロナ禍前の水準(19 年:3,188 万人)を上回り、17 年当時に定められた政府目標1である(20年)4,000 万人も視界に入ってきた。25 年は大阪・関西万博を控えていることもあり、訪日外客の一層の増加が期待されよう。

 

 

訪日外客の消費金額をみれば(図表1-2)、2023年には5.3兆円となり、コロナ禍前の水準(4.8兆円)をすでに上回った。更に24年には8.1兆円と前年から大幅増加し(19年比+69.1%)、国内アパレル産業の市場規模と並ぶ額となった。訪日外客数は24年にコロナ禍前を上回ったが、消費額については23年に既に上回っている。この背景には訪日外客1人当たり旅行支出額(以下、消費単価と略称)の着実な上昇がある。

 

 

消費単価をみれば、足下の2024年は22.7万円、19年比+43.3%増加した。訪日外客数は24年にコロナ禍前のピークを上回ったが、消費単価はすでに22年に上回ったことになる。

 

 

 

1-2. 政府目標実現に向けて

【拡大する需給ギャップ】

政府はすでに 2016 年の段階で前年の訪日外客の急速な増加を受け、従来の目標である 20 年2,000 万人、30年3,000万人から、それぞれ4,000万人、6,000万人に引き上げていた(首相官邸2016)。その後のコロナ禍をうけ目標の達成はペンディングとなっていたが、目標そのものをあきらめたわけではない。24年のインバウンドの急回復を考えれば、ここで30年6,000万人の実現可能性を議論することは荒唐無稽ではない。

 

我々の試算の特徴2は、観光業の需要面だけでなく供給面の両面から政府目標の実現可能性を検討したことである。まずインバウンド需要については、足下のトレンドを考慮し2030年6,000万人を実現するための、24-30 年間の訪日外客数を示すことができる。一方、人口減少下の日本人の観光需要については大きな成長を望めないので、先行き一定(ゼロ成長)とするがこれは無理な想定ではない。このように外国人と日本人の観光需要の合計から観光業が将来直面する観光需要を試算することができる。図表1-4によれば、観光需要は2024年=100に対して30年は115.6となっている。

 

問題はサービスを提供する宿泊業、飲食サービス業の労働供給の見通しである。これについては、国立社会保障・人口問題研究所の最新の人口推計に基づき試算した。2024-30 年の宿泊業、飲食サービス業の労働供給は先細っており、2024年=100 に対して30年は98.1 となっている。ここから宿泊業、飲食サービス業の労働供給予測を前提に前述の政府目標を実現するための労働需要との間のギャップ率((労働供給-観光需要)/観光需要)を試算した。試算結果によれば、宿泊業、飲食サービス業における全国の労働需給ギャップ率(実数)は、30年6,000万人のケースでは-15.1%(-53.6万人)、4,000万人のケースでは-3.9%(-13.8万人)となる(図表1-4)。

 

なお、関西について見れば、目標 6,000 万人のケースでは-21.0%(-13.2 万人)、4,000 万人のケースで-5.3%(-3.4万人)となる(図表1-5)。

 

【需給ギャップを解消するために】

目標年における労働の需給ギャップを解消するためには、観光需要の伸びに対して、サービスを提供する労働供給の効率性(労働生産性)が上昇しなければならない。我々の試算では2024年における観光需要と宿泊業、飲食サービス業の労働供給比率から見て、将来の需給ギャップ率を試算している。この数値から観光需要を満たすために必要な労働供給の効率改善(労働生産性の伸び)を試算した。

 

試算結果によれば、目標 6,000 万人のケースでは、全国で宿泊業、飲食サービス業の必要な生産性の上昇率は年率+2.8%、関西では+4.0%となる。また、目標 4,000 万人のケースでは、全国で年率+0.7%、関西では+0.9%、生産性の上昇が必要となる。なお、関西の必要生産性の上昇率が全国を上回っている。これは、関西は全国に比して人口の減少のスピードが速く、労働供給の制約が厳しいため、労働需要とのギャップを埋め合わせするために生産性の伸びは全国を上回らなければならないのである。

 

 

 

 

2. エピソード2:不均衡な観光需要

2-1. 訪日外客の着実な伸びと国内観光需要の減少:大阪府と京都府の場合

図表 2-1 は大阪府と京都府における日本人及び外国人延べ宿泊者数の最近の動向を示している。外国人宿泊者数は前年同月比 2 桁増と着実に伸びているが、一方で日本人宿泊者数が減少していることがわかる。特に京都府においては日本人宿泊者数の前年同月比2桁減が1年以上も続いている。大阪府と京都府では、訪日外客が集中しており、その影響もあり宿泊料金の高騰を引き起こしている。これに加え混雑現象が国内旅行者の宿泊需要を抑制していると考えられる。我々は観光需要の内外の不均衡は宿泊料金の高騰と国内実質賃金の低迷がその一因と考えている。

 

 

2-2. 宿泊料金と賃金

図表2-2には宿泊料金と現金給与総額(賃金)の相対的な関係(2019年=100とする指数)が示されている。宿泊料金でみた実質賃金ともいえよう。同指数(交易条件)をみると、23 年は 8.5 ポイント、24年1-11月平均は18.4ポイント、19年の水準からそれぞれ悪化している。一方、為替レート(円/ドル)を見れば、19年平均は109.01 円、24年平均は151.48 円となっており、この間円安が39.0%進行している(図表2-3)。

 

 

 

この間の宿泊料金と賃金を巡る状況は、日本人にとって急速に厳しくなっており(国内旅行の減少)、一方円安を享受している外国人にとってはほとんど影響がないことを示唆している(堅調な訪日外客の伸び)。京都府や大阪府において、このことは顕著な現象となっている。

 

3. 結論:生産性の向上と実質賃金の着実な上昇が必須

エピソード 1 は、適度な観光需要から最大の消費金額を実現することが重要であることを教えている。2030 年の政府目標である訪日外客数 6,000 万人の水準は、フランスやスペインといった観光大国の水準にも近い。この水準を実現するためには、全国で観光業の生産性が年率+2.8%で上昇する必要があり、インフラ整備の充実が急務となる。これが実現できない場合、オーバーツーリズムの問題が尖鋭化する可能性も高い。このような供給制約を考慮した場合、目標実現可能性に疑問が生ずることになる。ここで目標値を仮に 4,000 万人に引き下げた場合、生産性の上昇率は年率+0.7%ですむこととなり、実現可能性が高くなる。このことは、消費単価を一層の引き上げを実現することができれば、6,000 万人のケースと同様の観光消費額を実現できることを意味する。この場合、当該産業における労働の需給ギャップの厳しさは相当緩和(-15.1%→-3.9%)されるといえよう。6,000 万人という目標の実現には拘泥せずに、むしろ宿泊サービスの高度化(一層の高付加価値化)に注力することがバランスを図る上で重要である。

 

政府の観光戦略を見れば、2030 年の目標は訪日外客数6,000 万人、観光消費額 15兆円を実現することとなっているが、仮に訪日外客数の目標を 4,000 万人に下げても、消費単価を 25 万円から37.5万円(15兆円/4,000万人)の引き上げに成功すれば、観光消費額目標は達成可能である。すなわち、観光消費額の高付加価値化に一層注力すべきとなる。24 年の消費単価は 22.7 万円であるから、30年37.5万円は実現困難な目標ではないといえよう。加えて、IRの実現は日本のインバウンドツーリズムのブランド価値の引き上げにつながり、この目標達成に寄与すると思われる。

 

すなわち、人手不足による供給制約を緩和する王道は生産性を向上させることである。具体的には、ICTやDXを駆使して、(1)宿泊サービス形態そのものの効率化、(2)宿泊サービスの高度化の実現が重要である。

 

エピソード 2 で触れたように、日本人にとって宿泊料金でみた賃金賃金(交易条件)は大きく低下しており、これが国内の観光需要の低迷の背景となっている。インバウンドのみならず国内観光も含めた観光産業が持続可能となるためにも、実質賃金の着実な引き上げ(交易条件の改善)を実現することで国内需要の回復に寄与しよう。

 

以上が我々の結論である。労働生産性向上と実質賃金の着実な引き上げは、日本経済再生の処方箋でもある。インバウンドツーリズムの持続可能性を実現できるようにこれらの 2 つの政策を同時に追求することが肝要であろう。

 

補論:宿泊業、飲食サービス業就業者の需給予測とそのギャップを拡大させない効率の推計手順

本稿試算で用いている宿泊業、飲食サービス業就業者数の2025-30年間の需要と供給の推計値は以下のステップで計算されている。

  • Step① 2025年から30年までの日本人の観光需要(延べ宿泊者ベース)の予測値は2024年の実績で固定した。人口減少下の日本では日本人の観光需要は伸びないと想定している。
  • Step② 一方、外国人延べ宿泊者数については、2030年の訪日外客数の政府の目標値(6,000万人)に平均泊数(24年:4.4泊)を乗じて推計し、25-30年間については線形補間をする。
  • Step③ Step①と②の合計を日本人と外国人の観光需要(延べ宿泊者ベース)の予測値とする。 以上は観光需要の予測値であるが、次に供給面について述べる。
  • Step④ 国立社会保障・人口問題研究所の最新の人口推計に基づき、その 15 歳以上人口系列に総務省統計局の『就業構造基本調査 2022』の有業者比率を乗じて、2022-30 年の有業者の時系列を推計する。また、22年における宿泊業、飲食サービス業の有業者シェアを乗じて、宿泊業、飲食サービス業有業者(就業者)の予測値(供給側)を計算する。
  • Step⑤ Step③の観光需要予測値を宿泊業、飲食サービス業の有業者(供給)の予測値で除し、2024年=100とする指数を作成する。この指数の意味は、宿泊業、飲食サービス業の有業者1人がどの程度の旅行サービスを提供できるかを示す効率性指標でもある。ベンチマーク年(24年)における1人当たり提供できるサービスを固定しているから、この指標が100を超えれば需給ギャップが拡大することを意味する。
  • Step⑥ 効率指標の成長率をみれば、2030年と24年間の年平均増加率は2.8%である。すなわち、労働供給の効率が年率+2.8%で改善すれば、想定した労働需要(観光需要)を満たすことができることを意味する。同様の方法で、関西地方についても推計が行われている。
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